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私の想い

あれは一体なんだったんだろう?目の前の出来事からの気づき

私は、目の前に起こった出来事から、
あーこれは神様のメッセージやな。と思うことがあります。

車のナンバープレートや時計、日付、お会計のレシートとか、
何回も同じ数字を見る、よく見る数字のことをエンジェルナンバーということもあります。

朝からこういう言葉をよく言われる
みたいなことありませんか?

それらにも全部意味があることやと私は思っています

けれども、
メッセージとわかっても、なんのメッセージかはっきりしなくて、何通りの解釈ができることもあって、
モヤモヤすることもあります

そんな中から、あーこういうことかな?と思ったことがあったのでシェアします。

・山登りに行った後、ランチをいただいた先で20年使っている大事な腕時計を忘れました
→なくなった?と一瞬だけ焦りましたが、お店に戻り何事もなく見つかりました
・立ち寄った温泉施設で使用していたロッカーの鍵が入浴中に紛失しました。
→裸のまま立ち尽くし、どうしようもなく、お祈りするとフロントに預けられた鍵が戻ってきました

時計や鍵をなくすことは初めてでこのような出来事に意味があるのだろうけれども
メッセージをうまく咀嚼できることができずにいました。

そしたら今度は、
・宿泊した先で、朝食の準備を手伝わせていただいていて、自分の分のパンも含めみんなの分のパンも焼いて席ににお持ちしました。すると、パンは一瞬で皿ごと私の目の前から消えて、別の方の元へ行きました。
→私のパンはもう一度焼くことになりましたが無事食べれました。
・そしてジャムをつけようと準備したジャムがパンにつける間も無く目の前から別の方に手渡りました。
これも神様がくださるメッセージだと受け止めたけれど
はっきりした咀嚼がうまく行きませんでした。

決定的だったことは、
昨日福山駅から新幹線の改札をくぐった後、
どこかで切符を落としてしまっていました。
(普段はこんなことはありません・・・)
コーヒーを買おうと自販機の前に立っていると、
少年が駆け寄ってくれて
この切符落とされませんでした?と教えてくれました
乗車券を見つけてくれていました。
私はなくしたことも気づいておらず、助けられていました。
結局特急券は見つからず、新幹線に乗るしかありませんでした。
博多駅に着いて、駅の人に事情を説明すると
「本当だったら、お金を払って頂くところですが、今日は大丈夫です」
とお許しをいただきました。

出来事を通じて3次元的に、色々なくなったりしたのですが
ものがなくなっても私の心から、心配や恐怖の心は出てくることなく、なんとなく、
「なんとかなるでしょ」という安心感があって
最終的には全て困ることはなかったです。

出来事を自分で咀嚼した後、
朝に先輩にお話を聞いてもらって、心が整理できました。

私なりのメッセージの咀嚼は、
「この地球は不足してないよ、豊かさはあるよ、優しさがあるよ。
足りているよ、困ることない地球にいるよ。」
ということだったように思っています。

皆さんも出来事から学ぶことは多多あると思います。
でも、結局何やったんやろ?
見たいなこともあると思います。

一旦咀嚼してみて、胸においておいたら、正解も導いてくれることがあるかもしれません。

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